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弥生人が持ってきたもの(2)

感染症の伝播から予測した人類の大移動シリーズ(?)の続きです。

弥生人は稲作の方法を日本にもたらしました。でも皮肉なことにお酒を飲めない体質(中国あたりにたどり着いた頃に遺伝子が変異して飲めない体質になったようです。極東アジアにしかない変異です)になっていました。

他には、ベーチェット病になりやすい素因なども弥生人が持つ特徴のようです。縄文人が持っていたのは小柳原田病というメラノサイトに反応する自己免疫疾患やHTLV-1というウイルスです。

今回は、弥生人が持って来たであろうと言われている結核について。

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結核は昭和の20年代まで多くの命を奪った大変恐ろしい感染症です。昔の病気と思われる方もいるかもしれませんが、現在も常に疑わなければいけない重要な病気です。結核に関係する皮膚の病気もたくさんありますが、日々の診療のなかで皮膚関連の結核を診断することはかなり希です。希なので、頭の隅から消えていて見逃してしまう可能性のある疾患です。参考:加藤茂孝先生の論文

結核による脊椎カリエスは骨に変形を起こしますので、ミイラや古い人骨から結核の感染を疑うことができますし、遺伝子分析が可能な状態にあれば結核菌のDNAを同定することによっても感染を疑うことができます。

一番古い結核のあとはイスラエル沖に埋まっていた紀元前7000年ごろの人骨だそうです。紀元前200年頃から起源1世紀あたりになると。エルサレムの人骨からDNA、中国、韓国の墓の人骨から結核のあとが確認できるそうです。

さて、日本ではどうかというと、

鳥取県の青谷上寺地遺跡(紀元前2世紀から紀元後2世紀、つまり弥生時代(BC300 年~ AD300 年))から発掘された人骨5000点の中に2点にみつかったのが日本最古の結核のあとだということです。

三内丸山などの縄文遺跡(縄文時代BC8000 年~ BC300 年)から出土した人骨については、1,000 体以上調べても 1 例も結核のあとは見つかっていないとので、結核は弥生人が持ち込んだのではないかと言われています。

加藤先生は、結核が日本に持ち込まれた時代は、中国が春秋戦国時代であり、戦争を嫌って南はベトナム、北は朝鮮半島へと大きな民族の移動が起きたので、引き続いて日本にも大量に弥生人が入ってきたのでなないかと述べておられます。古墳時代(300~500年)に入ると日本各地の人骨に結核のあとが見つかるようになり、日本中に蔓延していったと考えられるそうです。
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2012年10月14日 トラックバック(0) コメント(3)

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2012年12月06日 編集

10/26の講演面白そうですね。新しい展開があったら教えてください。

2012年10月17日 ビーアンビシャスボーイズ  URL 編集

ども!結核のDNAで歴史が分かるんですね。興味深いです。しかし、中国は流石。春秋時代はまだ日本は弥生時代ですものね。10/26に国立民族博物館の「だから人類は地球を歩いた、太平洋へ、アメリカへ」という講演を聴きに行く予定です。平日の夕方からですが、急な仕事が入らなければ良いですが・・・。紹介して貰った1万年の旅路のイロコイ族の話も聞けるかなと思ったり。楽しみです。

2012年10月17日 azm URL 編集












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